どうも黒沼です。
さて、最近は続けて
西洋美術史シリーズを書いています。
美大に通う私が美術史の授業、教授の話
本で手に入れた美術史情報をアップして
いくので、チェックしてみてくださいね。
今回はエコール・ド・パリの美術
について解説します。
当時の音楽とともにお楽しみください。
目次
エコール・ド・パリの画家の作品の特徴
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/kisling-01-228x300.jpg?resize=601%2C791)
エコール・ド・パリとは第一次世界大戦後の
パリで活躍した外国人画家のグループです。
(エコール・ド・パリは当時のパリで活躍した
日本人の美術評論家の福島繁太郎の命名によ
るものでした。)
彼らはパリのモンマルトルやモンパルナス
に集まり、ボヘミアンな生活をしていました。
モンパルナスの住居兼アトリエの蜂の巣が
一つの活動拠点でした。
エコール・ド・パリの絵画の特徴は、同時代
の様々な芸術運動から独立していた点です。
当時のヨーロッパではフォーヴィスム、
キュビズム、シュールレアリスムなど
様々な潮流がありました。
エコール・ド・パリの画家たちは多国籍
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/pascin_ryokuinoonna-web-211x300.jpg?resize=597%2C849)
また、エコール・ド・パリの絵画は具象的、
悲劇的、破滅的な雰囲気を持っています。
エコール・ド・パリには、モディリアーニ
シャガール、キスリング、パスキン、
藤田嗣治など様々な国籍の画家がいます。
シャガールはロシア、モディリアーニは
イタリア、スーチンはリトアニア、
藤田嗣治は日本、キスリングはポーランド、
パスキンはブルガリアの出身でした。
彼らの多くはユダヤ人であり、
エコール・ド・パリの哀愁漂う雰囲気
はこれが理由かもしれません。
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/image65-209x300.jpg?resize=601%2C863)
ルネサンス~19世紀まではローマが芸術の
中心地でしたが、この頃のパリに移ってい
ました。
「芸術の太陽はパリでしか輝いていない」
という言葉をシャガールが残しているのが
象徴的です。
世界中から芸術家がパリへ集い、
エコール・ド・パリは生まれたんですね。
このため、彼らの作品には祖国の民族性と、
祖国を離れた流浪の芸術家の持つ悲哀が
同居しています。
彼らは互いに交流しましたが、皆個性的で、
1つの様式や理論を持つことはありません
でした。
エコール・ド・パリの芸術家
マルク・シャガール
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/a0212807_11915100-234x300.jpg?resize=599%2C768)
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/ダウンロード-6.jpg?resize=597%2C723)
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/image-2-300x237.jpg?resize=595%2C470)
マルク・シャガールは貧しいユダヤ人
の家に生まれます。
しかし、母親が将来を期待し、良い学校へ通わ
せたため、幸福な子供時代を送ったようです。
ロシアで絵画を学んだ後
20代でパリへ移ります。
マルク・シャガールは故郷ロシアの思い出
などを幻想的に描きました。
また色使いや構成にはフォーヴィスムや
キュビズムの影響も見られます。
シャガールは30代の頃から評価も高まり、
多くの仕事を手掛ける様になったようです。
モーリス・ユトリロ
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/images-2.jpg?resize=601%2C454)
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/Utrillo-300x239-300x239.jpg?resize=601%2C479)
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/20150418_art01-230x300.jpg?resize=606%2C790)
モーリス・ユトリロはモンマルトルで活躍
したモデルで、女流画家の
シュザンヌ・ヴァラドンの息子でした。
モーリス・ユトリロは呪われた画家
ともいわれています。
アルコール中毒やうつ病などを患い、
苦しい生活を送っていたようです。
モーリス・ユトリロは医者の勧めで始めた
絵画で評価されるようになったようです。
初めは印象派風の絵画を描いていましたが、
徐々に独自のスタイルを確立していきます。
最も評価が高いのが「白の時代」と呼ばれる
作品群で、石膏とのりを塗り重ねる独自の
技法で制作しました。
アメデオ・モディリアーニ
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/20150225002840-189x300.jpg?resize=598%2C949)
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/20150225013238-193x300.jpg?resize=594%2C923)
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/5fdefc56f56b90e980a62e82d36c1575.jpg?resize=592%2C592)
イタリア出身のアメデオ・モディリアーニは
瞳の光彩が特徴の人物画を多く残しています。
単純化されたフォルムの女性像が有名ですが、
彫刻も残しています。
藤田嗣治
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/kiki-300x209.jpg?resize=600%2C418)
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/1157830594-225x300.jpg?resize=600%2C800)
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/01/ダウンロード-2-1.jpg?resize=595%2C705)
藤田嗣治はエコール・ド・パリ唯一の
非ユダヤ人です。
藤田嗣治は日本画風の線描と乳白色の
艶のない反油性下地の絵で有名になりました。
白人女性の肌の美しさを乳白色の下地と
浮世絵のような線描で描き、パリのモダニズム
と浮世絵を融合させたスタイルで評価されます。
藤田嗣治の絵画のモデルのキキは藤田嗣治の
作品をきっかけに有名になりキスリングなど
同時代の画家のモデルも務める様になりまし
た。
藤田嗣治はエキゾチックな姿と社交的な性格
で作品のみならず、本人も有名でした。
まとめ
今回はを紹介しました。
の特徴はまとめると
・ユダヤ人が多く、独特の哀愁漂う抒情的な具象画を残した。
・貧しいながら互いに交流し、独自の絵画を残した。
といった感じですね。
次回はアールヌーヴォーについて
紹介します。
それではまた。
↓西洋美術史についてはコチラ↓
![](https://i0.wp.com/kurohaku.com/wp-content/uploads/2018/06/画家と美術史-300x176.jpg?resize=725%2C422)