【キリスト教美術】イコンやモザイク壁画などの有名作品を解説

キリスト教美術と聞いて

皆さんはどんなものを
想像するでしょうか?

 

どうも 絵画をたしなむ を
運営する画家の黒沼です。

これまで、記事を書いてきて

画家の名前を引用して
説明したりすることが結構あり、
話が専門的になりすぎる

ということが気になっていたので、
今回も西洋美術史についての記事を
易しく書いていこうと思います。

 

初心者でも、玄人でも楽しめる
記事を目指して頑張って
書いていきたいと思います!

 

 

今回はの初期キリスト教美術
について解説します!

 

当時の音楽とともにお楽しみください!

 

 

目次

初期キリスト教美術とは

初期キリスト教美術とはどんな
ものなんでしょうか?

前回のローマの記事では、ポンペイなどの
享楽的な美術を紹介しましたが、

当時のローマ帝国では同時に
キリスト教美術も発展していました。

 

ポンペイの壁画がかなり奔放(笑)であった↑
のに対し、

キリスト教美術は当然、
より禁欲的、教訓的です。

ギリシャ・ローマが人間の可能性
や、意志、感情の力を評価するのに
対し

キリスト教の価値観は
人間の弱さや罪深さに注目
する側面があります。

 

前回も登場した、この特徴的なお顔の
コンスタンティヌス帝

313年にキリスト教を公認するまで、
ローマ帝国ではキリスト教は
迫害されていました。

 

当時多神教の宗教を信じる者の多かった
ローマ帝国ではキリスト教徒は

カタコンベという地下墓所で
集会をしていました。

 

この頃のキリスト教壁画は
シンボルに満ちています。

この画像の「善き羊飼い」
キリストの象徴だそうです。

 

この画像の「泉に集まるハト」
教会に集う信者を表します。

このように、キリスト教にまつわる話を

隠語のような形で伝えるため、
多くの象徴が生み出されたんですね。

 

キリスト教の話を公然とできない、
迫害されていた

当時のキリスト教徒が生み出したのが、
このような象徴的表現

ともいえますね。

 

コンスタンティヌスによる、313年の
キリスト教公認後は、

大規模な教会が数多く建てられます。

 

また、文字の読めない人々に
聖書の物語を広めるため、

モザイク壁画がつくられます。

 

描かれる図像は単純化、図式化されており、
リアルな3次元的表現よりも、

物語の説明が重視されています。

 

この頃の教会は大きく分けて、
バシリカ式集中式に分けられます。

 

バシリカ式は↓のように、列柱の奥に
祈りの場があるのが特徴です。

集中式は↓のように教会中央に
祈りの場があるのが特徴です。

この頃の教会は質素な外観に反し、
壮麗な内部空間を持つのが特徴です。

 

ビザンティン美術

ローマ帝国はコンスタンティヌス帝
時代に東西に分裂します。

西ローマ帝国滅亡後の6世紀以降は
遷都先のビザンティウムから、

ビザンティン帝国となります。

 

ビザンティン美術の特徴はキリスト教
ギリシア古代ペルシャの文化が
混ざったようなものになっていました。

 

 

皇帝を神として崇めた
古代ペルシャの伝統
を受け継ぎ、

ビザンティン美術では、皇帝を
神のような厳格な図像で
表現したものが多いです。

多くのモザイク画が正面向き
左右対称の動きのない構図で

皇帝を描き、超越的な雰囲気に
仕上げられました。

この頃 イコンという
礼拝用の聖人画が登場します。

持ち運びできるものも多く、これさえ
あれば教会まで行かずに

家で礼拝ができたんですね。

 

ビザンティン美術の時代、画家に
自由に描く権利はほとんどなく、
厳しい制約が数多くありました。

幾多の聖像論争の結果
「キリストのこの場面はこう描くべき」
というようなルールがたくさんあったんですね。

 

この頃画家が自由に描けたのは
衣服のひだくらいだったようで、

そのためこの時代の絵の衣服は
ユニークなものが多いです。

 

ビザンツ帝国の末期になるとようやく、
画家の思いのようなものが、

絵画に反映されはじめます。
↓のように聖人の強い感情を描いた
作品も登場します。

キリスト教美術はローマ帝国滅亡後大きく変わった

 

みんなでGo(375年)
ゲルマン人大移動

で覚えた方も多いはず

 

この頃、西ローマ帝国は滅亡し、
ゲルマン人による国家が建てられます。

ゲルマン人は系統的には、
バイキングや今のドイツ人の先祖です。

 

ローマに住んでいたラテン人
陽気で享楽的で奔放でしたね

これとは対照的に、ゲルマン人
生真面目で血気盛ん、神経が細かい
 感じのイメージなんです。

 

そんなゲルマン人の建てた
メロヴィング朝では

↓のような細かい貴金属細工
などが多く作られました。

勇猛な民族らしい動物
モチーフの美術が多いようです。

また、ローマの支配から解放された
アイルランドでは↓のような

どこまでも細かい文様の
美術が多く作られました。

 

これはケルズの書と言います。

アイルランドに住んでいたケルト人
装飾的で、抽象的な文様を
好んでいたようです。

 

メロヴィング朝に続くカロリング朝では
カロリング・ルネサンスという
ローマ時代の文化の復興運動が起きます。

ゲルマン人の動物の金細工や、
ケルト人の抽象的な細密写本押されて、

ローマ時代の人物表現
力を失っていました。

 

カロリングルネサンスは
このローマ時代の人物表現を
復興したんですね。

 

まとめ

今回は初期キリスト教美術
ビザンティン美術について紹介しました。

 

初期キリスト教美術、
ビザンティン美術の特徴をまとめると

 

・キリスト教徒にしか伝わらない象徴的表現

・教義上の制約の中での制作

・ケルトやゲルマン化したキリスト教美術の登場

という感じですね。

 

数多くの制約の中、キリストやマリアを
描いた画家たちは

アーティストというよりも、
生真面目な職人だったんですね。

 

モダンで自由な雰囲気は
当然ありませんが、

職人技の冴えが感じられて、
私は結構好きです。

 

次回は中世の教会建築
について紹介します。

それではまた。

 

↓西洋美術史についてはコチラ↓

 

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