どうも、黒沼です。今回は嬉しいことがあったので、ご報告いたします。
昨年、大学で受講した「現代工芸論」の教授で、工芸評論家の笹山央先生に私の制作についてコメントを頂きました。
前の記事でもお話した通り、哲学史好きの私としては、このような抽象度の高い洗練されたコメントを頂き、大変嬉しく思います!
笹山先生ありがとうございました!
「『現代工芸論』から生れてきたものPartⅠ-3」展の出品者紹介[4]] – sasayama
2017/10/04 (Wed) 22:00:36
油画4年の黒沼大泰さんのレポートのタイトルは「取り合わせの美――生活の文脈から切り離された「美術品」について」というものでした。
“取り合わせの美”というのは、『現代工芸論』の中で、日本的造形美の特徴は“取り合わせ”ということの中にあるということを論じ、西洋近代美術の成り立ち方とは異なっているということを主張しているところから引いてきています。
美術というものを、西洋近代の純粋造形志向から現代の市民生活の文脈と結びついた作品を創っていくということが、絵画の制作モチーフとして意識されているということです。
わかりやすく言えば、売れる絵を創っていこうということですが、そのように表現すると美術の世界では未だに反発をくらいそうなところがあります。
しかしプロの仕事というのは、その仕事が生み出すもので生活をしていくことが原則であると私は思いますし、またそうでなければ、市民社会の中では一人前の社会人として認めてもらえません(“先生”などといった敬称を付けられて、敬して遠ざけられる存在に甘んじることになります)。
黒沼くんは『現代工芸論』が提起している事柄をより積極的に受け止めて、現実の社会の中での美術の在り方を考えていくという方針を堂々と打ち出していると私は受け止めました。
レポートの中で黒沼くんは「日本人の庶民的、一般的な美意識は花鳥風月のまま、つまり江戸時代のまま止まっている」と書いてますが、それは確かに一面の真実と言えます。
美術業界(黒沼くんは“ムラ”と表現してますが)の中では現代美術のような先端的な美術が追っかけられたり、その中でいきがったりしてますが、一歩外に出ると、やっぱり花鳥風月であり、伝統工芸なんですね。
逆に言えば、そういった花鳥風月や伝統工芸にこそ現代日本人の美的感性のリアリティが厳然と居座っているとも考えられるわけです。
それはとても巨大な、岩盤のようなリアリティであって、そのリアリティに立ち向かっていき、そこから“現代性”への通路を切り開いていこうと志すところに、本当の意味での“日本型現代美術”の展望とスリルがあるのかもしれません。
画像は金箔を使って3次元空間の表現を試みる絵画作品
私が書いたレポートはこの書籍から多くを引いています。
工芸について、歴史、経済、実制作など多様な視点から書いた 良書です!
抽象的な世界が好きな方は是非おすすめです!
笹山 央 先生は毎年「現代工芸論」の講義レポート課題の提出者の中から作家を選抜し、展示を企画してくださっています。
次回の4月の展示には私も参加することになっています。
また会期が近づきましたら告知させていただきます。
笹山先生プロデュースの展覧会について 詳しくはコチラ↓
展覧会を記念して、本展を企画した
笹山央氏に作家活動を取材して頂きました。