謎多き画家フェルメールの生きた時代や有名作品について解説

「真珠の耳飾りの少女」「牛乳を注ぐ女」など、

身の回りの人物を描いたフェルメール
日本でも人気ですね。

 

ちなみにフェルメールは

日本人の好きな画家5位
ランクインしているそうです。

 

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2017.09.17

 

今回はそんな市井の画家フェルメールについて
解説します。

 

 

画家ヨハネス・フェルメールとは

フェルメールは17世紀オランダ出身の
バロック絵画を代表する画家の1人です。

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本名 は
ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト
[ Jan van der Meer van Delft]といいます。

 

光を緻密に表現した独特の作品が特徴で
享年43歳で亡くなるまで

長く故郷デルフトで過ごしました。

 

生存当時から多くの人々を魅了し続けている
彼の作品群は現代でも高い人気を誇りますが

日本では、2000年 大阪市立美術館で
開催された「フェルメールとその時代」展

60万人もの動員数を記録したことで
フェルメール人気に火を付けたと言えます。

 

国内の展覧会だけにとどまらずその作品を
観覧する観光ツアーが組まれ

世界中を旅する人々がいるほど 今もなお
愛され続ける彼ですが

その知名度の高さに対して現存する作品総数は
33~36点と少なめで、
謎の多い画家とも言われています。

 

『光の魔術師』フェルメールとは
どのような時代を生きた画家だったのでしょうか。

なぜ彼は画家として成功していながら
少数の作品しか残さなかったのでしょうか。

 

また彼独特の緻密な描写や鮮やかな彩色は
どのようにして作られたのでしょうか。

 

そのヒントは彼が生きた時代と
祖国オランダを知ることで
見えてくるとも言えるのです。

 

 

【オランダ黄金時代】

2018年現在からおよそ400年前。
17世紀(西暦1601年~西暦1700年)頃

ネーデルラント連邦共和国
(現在のオランダ・ベルギー北部に存在した国家)
で長く続いた平和な時代があります。

 

ネーデルラントが海運国、経済大国として
軍事、貿易、科学、

そして芸術が 歴史上世界で
もっとも優れていたとされる時代です。

 

現在でも風車で有名なオランダは
国土の4分の1が海抜0m以下にある為

当時から高い水工技術を誇り、その技術は
パナマ運河やスエズ運河の建設にも
活用されました。

 

加えて造船技術に優れ、当時世界の光学機器の
最先進国であった為 高度な望遠鏡を駆使した
天体観測にも秀で、巧みな航海術で
世界に進出していました。

天文学の父と呼ばれる
イタリアの学者ガリレオ・ガリレイ
世界で初めて作られたオランダ製の望遠鏡で
最初に月を見たと言われています。

 

このように当時のオランダは海運国として
東へ旅立ち

1602年 世界初の株式会社としても
有名な オランダ東インド会社
(Verenigde Oostindische Compagnie, VOC)
を設立します。

 

当時の「インド」とはヨーロッパ、
地中海沿岸地方以外の地域をさし、

東インド会社はアジア地域との貿易独占権を
与えられた特許会社でした。

 

日本に目を向けますとこの頃は江戸時代初期
にあたります。

江戸幕府が安定し将軍が力を付けてきた時代で、
すでにスペインやポルトガルなどの

キリスト教国の貿易を管理・統制・制限した
鎖国体制は強まっていました。

そんな中1640年頃には オランダ東インド会社が
日本や中国などのアジア貿易を独占した為、

オランダが西洋とアジアとの唯一の拠点
になったことで貿易センターとして
確固たる地位を築きました。

 

こうした貿易から安価で質の良い木材や金属、
香辛料が大量に輸入され、

ヨーロッパ諸国へ それらを輸出することで
ネーデルランドに巨額の利益をもたらしました。

 

15世紀末には神聖ローマ帝国の支配から
スペインの領土になっていましたが

80年もの歳月をかけて独立戦争を
繰り広げた結果、

1648年ネーデルラント連邦共和国は
独立を果たしました。

この時フェルメールは16歳の若者でした。

 

【黄金時代のフェルメール】

当時のオランダ社会を支配していたのは
豊かで収入力のある都市の商人階級でした。

古来 絵画を購入するのは聖職者や
貴族・上流階級の人間でしたが、

法律家、学者、商人、実業家 などから成る
裕福な中産階級も豊かであった為

フェルメールも顧客には困らなかったようです。

 

フェルメール自身も画家業だけではなく
父親から譲り受けた実家の家業の経営にも
携わっており、

その上 大変裕福だったという妻の実家などの
資金援助もありました。

 

フェルメールの作品が愛される理由の一つに
特徴的な美しいがあります。

その青い絵の具、ウルトラマリンは
当時純金と同様、もしくはそれよりも高価だった
と言われています。

なぜならウルトラマリンの原料である
ラピスラズリという宝石は当時ヨーロッパ付近
ではアフガニスタンでのみ産出されたのです。

 

その美しい青は海路で はるばる輸入された為
「海(マリン)を超えてきた(ウルトラ)青」

という「ウルトラマリンブルー」
と名付けられました。

 

当時ウルトラマリンは貴重であった為
どの画家もここぞというポイントでしか
使用しない色でしたが、

そんな高価な絵の具をフェルメールは
多くの作品にふんだんに使用しています。

『フェルメール・ブルー』と呼ばれるほど
彼のアイコンともなった青を多くの作品に
使用できたのも彼が豊かな生活をし、

オランダ社会を支えた富裕層に求められた証
なのでしょう。

 

事実フェルメールの生涯最大のパトロンであり、
デルフトの醸造業者 兼 投資家でもあった

ピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェン
はフェルメールの作品を20点も所持し
彼を支え続けたと言われています。

 

カメラ・オブスクラという当時最先端のカメラ
を使って作品に細部への優れた描写を施した事
も当時のオランダ人らしい技法と言えるでしょう。

最新の技術と最上の絵の具で仕上がった
美しい作品は

オランダの上顧客に愛されるに
相応しい作品であり、

生活資金を気にすることなく時間をかけて
仕上げることが許されたのです。

 

フェルメールの作品は このオランダ黄金時代に
支えられたからこそ、

今もなお私たち現代人を
魅了し続けるのかもしれません。

 

 

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