[西洋美術史]ボッチョーニやバッラなどイタリア未来派の有名作品を解説

どうも黒沼です。

 

さて、最近は続けて
西洋美術史シリーズを書いています。

美大に通う私が美術史の授業、教授の話
本で手に入れた美術史情報をアップ
していくのでチェックしてみてくださいね。

 

今回はイタリア未来派の美術
について解説します。

当時の音楽とともにお楽しみください。

 

 

 

 

 

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目次

イタリア未来派とは

 

イタリア未来派とは
20世紀初頭に起こった芸術運動の一つです。

1910年代から20年代にかけイタリアの
社会改革を目指し展開しました。

 

1909年にイタリアの詩人
フィリッポ・マリネッティが発表した
未来派宣言が未来派の発端でした。

未来派は伝統的な社会
や芸術を否定しました。

 

産業革命以降の急速な工業化、都市化を受け
新たな時代にあった機械美、スピード感
ダイナミズムを賛美しました。

未来派の芸術運動は絵画や彫刻に限らず写真、
建築、デザイン、ファッション、音楽、文学
、政治運動など多岐にわたります。

 

音楽の分野では、ルイジ・ロッソを始めとする
前衛音楽にも影響を与えました。

ルイジ・ロッソは爆発音や騒音、動物の鳴き声
などを素材にコンサートを実践し騒音音楽
など前衛音楽の先駆けとして活躍しました。

 

ダリなどで有名なシュールレアリスムもそう
ですが、20世紀以降の芸術運動はこのような
詩人の宣言をきっかけに始まる領域横断的で
社会改革を目指したものが多いんですね。

伝統との決別を目指した運動だったので
図書館や美術館の破壊など過去の清算を主張
する過激な運動もあったようです。

 

このような性格から、未来派はファシズムを
助長したと批判されることもあります。

実際、未来派のマリネッティは独裁者
ムッソリーニに近づき、第一次世界大戦の
思想的指導をしたとされています。

 

未来派は他にも、軍国主義的、女性差別的、
好戦的とされることも多いんです。

しかし、未来派は永遠の都ローマのある
歴史ある国イタリアで前衛芸術の生まれる
下地を用意した運動として評価されています。

 

 

当時のイタリアは?

 

20世紀初頭のヨーロッパでは
 美術の中心地=パリでした。 

当時のイタリアはルネサンス期の
栄光の記憶に沈んだ遅れた場所でした。

 

このコンプレックスと相まって未来派の
過激な進歩主義は熱狂的に支持されます。

こうした理由から旧来のあらゆる文化を否定
破壊し機械文明によって進歩することを
目指したんですね。

 

また、産業革命以降の機械化、工業化を
賛美した、今でいうスチームパンク
工場萌えのような美意識が育ちます。

 

 

 

 

「機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮
する自動車は、《サモトラケのニケ》
よりも美しい」

↑の画像はマリネッティの言葉と挿絵ですが
未来派の伝統破壊、機械賛美という性格を
よく表していますね。

 

 

 

 

イタリア未来派の有名作家

ウンベルト・ボッチョーニ

 

 

 

 

 

ジャコモ・バッラ

 

 

 

未来派の美術の特徴である
時間と空間の表現の一例。

人物の連続撮影で有名なエティエンヌ・マレー
の写真を参照し散歩する犬と人の動きを
表現しました。

 

 

 

 

 

ジーノ・セヴァリーニ

 

 

まとめ

 

 

今回は未来派について紹介しました。
未来派の特徴をまとめると

・機械文明のダイナミズムを賛美した

・旧来の伝統文化を徹底的に超えようとした。

・過激な進歩主義と社会改革は賛否両論ある。

といった感じですね。

 

 

次回はオルフィスムについて紹介します。

それではまた。

↓西洋美術史についてはコチラ↓


 

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